鼻くそ記事に釣られたよいこのみんな♪
ニュース系サイトというか,「記事に一行コメント」のスタイルで成り立っているサイトが多い。
で,前々からワタクシは,こうしたサイトに対して,「ニュースのピックアップに,ちゃんと作者のフィルタかかっているのか?」という疑問をもっていた。 なんせあの系のサイトの「一日分の記事」って,軒並みスゲー多いからね。
思うに,懸念どおりの構造が,ミゴトに浮き彫りになったのがこの一部始終,なのかなと。
#つれづれなるままに日暮かごめが「個人ニュースサイト相関図」でやろうとおもった背景にも,こうした構造に対するシニカルな見方がちょっとあったのだろうな,と思ってみる。
そんなニュース系サイトのもつ影響力なのだが,「とても大きい」としか言えそうにない。 有名blogの「本日のリンク元」で観察できる最大勢力が,それ系ということを見れば明らかだ。
ところが,これって,「ニュース系サイト(群)が流した情報をインスタントに摂取する大衆」って感じに近くないかな。
ニュース系サイト群で流れる情報には,実はニュース系サイトの充実にも関わらず,少ないカレントしかない。 それでも(あるいはそれだからこそ),利用者の数はとても多い。
これは,トレンドを,一番簡単な形で提供してくれる場所から,きわめて短時間で安易に得ようとする人間が多いということであり,これは,世の中の8割が○○でできているという「アノ主張」から導ける結論に近い。 ちなみに「アノ主張」から導かれる別のaspectは,「マスコミが流した情報をインスタントに摂取する大衆」という構造である。
#「アノ主張」についてはいつか説明する機会があるでしょうが,いまはムリー
とにかく,
マスに覚醒を求めるのはムリ。
というテーゼが正しければ,結局は一緒なのな。
テレビが発達しても,その前に新聞が発達しても,口コミしかなかった時代と,情報流通の本質は変わらなかったでしょ。
「ペリクレスはいい人だ」という,ギリシア民主政時代当時の大衆のコモンセンスと, 「田中真紀子の主婦感覚」という,ちょっと前の(大衆の)コモンセンスの両者の間には,使われる技術が変わっていてもその形成過程に何の違いもない。
必要なのは情報技術じゃなくて,情報リテラシ。