一神教

http://d.hatena.ne.jp/bmp/より
http://d.hatena.ne.jp/lenn/20030906#p1に触れて

そういえば「一神教的な考え方は特殊なnarrativeであることを選ぶ」し,「多神教的な考え方は普遍なnarrativeを選ぶ」なーと考えた。

一神教では,相手が信じていることが自分と違ったら,相手を変革するか,あるいは相手を排他するしか選択股がない。 共存から進んで同化にまで至れないのだ。 その深いところには,異分子に対する無関心とか非寛容とかが流れている。

キリスト教の異端審問や新旧教対立といった内ゲバ,さらにキリスト教イスラムの対立などを見るがいい。 かの教条にある寛容の精神は,異分子に対しては適用されないのよな。

エジプトで発明され,イスラエルに輸出され,それをイエスが持ち出し,マホメットも採用した一神教って,社会の幸せ総量を間違いなく減らしていると思う。 宗教的救済は一神教でなくても可能なのに,宗教的悪行は一神教において行われるからだ。

そして今回書いたように,彼らは,かたくななnarrativeを形成し,さらにそのnarrativeだけで世界を覆おうとするのだ。