帝王切開

妊婦の子宮を切開して胎児を取り出す手術の名称。

これはだいたい誰でも知っている。 この次にこの項で知られているのは,

ローマ帝国の礎をうちたてた,実質上の初代皇帝ユリウス・カエサル(英語名ジュリアス・シーザー)がこの方法で生まれたため,この施術を帝王切開と呼ぶ。

というエピソードだろう。 pdicのエントリもこれだった。 そして,このエピソードに関して,多くの雑学本は,

ユリウス・カエサル帝王切開で生まれたわけではない。 この誤解は,ラテン語のsectio caesareaをドイツ語に訳すときに,caesareaを「切る」の意でなく,カエサル(帝王)の意と誤解し,Kaiserschnittと訳したため。

と,「実は...」といって薀蓄たれるのが常だ。 Googleでも百件以上のWebページがこれだった。

たしかに帝王切開は,古代エジプトや古代インドで,死亡あるいは瀕死の妊婦から胎児を取り出す手段としてすでに紀元前から行われていたが,当時は施術すれば母親は確実に死亡する最終手段であり,ユリウス・カエサルが青年になるまで生きていた母親が,彼を帝王切開で生んだわけがない。

#母親の死なない帝王切開は1500年になるまで記録例がない。

しかし,この誤解の解説がさらに誤解を含んでいることを知っている人は,非常に少ないと思われる。

実はドイツ語Kaiserには「分離する・切除する」という意味もあって,ラテン語sectio caesarea(切開切除)をKaisershinittで「切開切除」(shinittは「切開する」)とするのは,ちっとも誤訳ではないそうだ(むしろ直訳すぎるくらいだ)。 誤訳はラテン語→ドイツ語ではなく,ドイツ語→日本語で起こったのだという。

ハナシをややこしくしているのは,ユリウス・カエサルという名前である。 そもそも,Caesar「カエサル」という語がcaesarea「切る」から来ているという。 だとするとユリウス・カエサルというのは,「ユリウス一門の分家」というくらいの意味となる。 ラテン語の甥っ子くらいに位置する英語にも,ハサミscissors,分離scissionなどの単語に「切る・分ける」の痕跡が残っている。 名門の出であることをアピールしようとしたガイウスさんのユリウス・カエサルという名が,後に「皇帝」の代名詞になっちゃったといういきさつなわけね。 で,こういうバックグラウンドのない日本で,ドイツ語Kaiserの第一義をそのまま使っちゃったと。

日本語へ訳す際の誤訳には,さらにもう一つの原因がある。

プリニウス(A.D.61-112,ポンペイの噴火を記録した歴史家)が,自著の中で

ユリウス・カエサルの家名は,ガイウスが切開切除法で産まれたためにカエサルになったのではないだろうか? それなら彼が随分変わっていたことも納得だ。

という冗談を書いたのだが(当時,ヘンな生まれ方の人はヘンな人になると思われていたとか),カエサルの死後百数十年経った当時,すでに「カエサル」という単語は,皇帝をあらわす言葉「ポンティフェクス・マキシマス・インペラトールユリウス・カエサルアウグストゥス・プリンチェプス・ロマーナ(最高神祇官,最高司令官,ユリウス・カエサル一門,ローマ市民の第一人者)」の構成単語として,「分家」という意味よりも「皇帝」を強くイメージさせる単語となっており,この冗談があまり冗談にならなかったらしい。 真に受けた人が多数いて,それが冒頭の俗説になったという。

そして,暗黒の中世を経ることで,後世の人々はローマ帝国を歴史書を通してしか知ることができなくなってしまった。 これで,流布していた「俗説」は小プリニウスの記述によって「事実」として裏付けられてしまったのだ。 ドイツに学んだ明治の日本人が,現地のドイツ人から,これを吹き込まれて誤訳を完成させてしまったのもムリはない。 だが,「切開切除」と「帝王切開」を「誤りかねない」に留まっていたKaisershinittを「帝王切開」という完璧な誤解に定着させたのは日本人である。