選挙権

日本の人たちは選挙に幻想を抱いていない。

選挙となると,毎度のごとく前時代的な選挙運動が繰り返され,毎度のごとく前時代的な組織票で,毎度のごとく前時代的な人が当選していく。 それを馬鹿馬鹿しいと思えるマトモな人は,それが馬鹿馬鹿しすぎて議員になろうとせず,一方で利権がらみの議員は鬼のような意気込みで選挙に向かう。

そんな政治家の中にまともな指導者が,たまたまいることを期待するほど,民衆はお人よしではない。 政治不信の根はおおむねこんなところだろう。

この事態は,いわゆるまともな人しか当選できないようにすれば,改善するかもしれない。

そのためには,前時代的な組織票がなくなってしまえばいい。 言われるがままに,言われた名前を書いて投票するような,無判断で投じられる組織票が機能しないようにすればいい。

そこで,投票の前に簡単なテストをすることを提案する。 テストは簡単なものでよい。 選挙をするに足る判断力と常識があることが確認できれば十分だ。

これは表層的には基本的人権の侵害にみえるかもしれない。 しかし,そもそも基本的人権とは国民の不断の努力によって確立されつづけるべきものなのだ。 民主主義が,無自覚で無判断である人たちによる衆愚政治を意味するようではいけないのだ。

だいたい,政治家を選ぶだけの判断力をもたない人が,選挙の担い手としてふさわしいと言えるだろうか。 主権者であることに無自覚であるものは,選挙に携わるべきではない。 そして衆議院参議院の違いがわかっていないような有権者が,組織票の大部分の担い手なのだ。