系への信仰

個人主義の跳梁は,世界を覆いつつある西欧的価値判断の悪弊の所産である。

西欧において高等宗教がその力を失った後に出現した,高等宗教の退化・劣化版でしかない現代の宗教「共産主義」「国家主義」「個人主義」のうちで,元来最強な個人主義がさらに強くなってしまって,社会が歪みすぎないわけがない。 すでに共産主義は倒れた。 現代の技術発展の下でその役割を終えつつある国家主義は,いまや分裂と対立の基盤でしかない。 個人主義の暴走を止める,新時代の高等宗教が必要なのかもしれない。

それは「社会全体・高所からの視点を重視しがちな共和政(遠視眼的・全体主義的)」と「社会の構成員の視点を重視しがちな民主政(近視眼的・個人主義的)」の中間を志向する,「系への信仰」になるだろうと思う(そう願う)。 系への信仰の下では,右も左もない。 ふれすぎたバランスこそが悪となる。

(追記)あ,ちなみに今日の記事中にでてくる全体主義って,公益主義っつーか,そーいうニュアンスでよろしく。