個人の権利と公共の福祉

物心ついてからずっと,どうも個人の権利と公共の福祉のバランスが,前者によりすぎていると思っていた。 「個人の自由は,それを可能にする社会によって保障されている」という意識がなぜあれほどまでに希薄なのか,疑問に思っていた。 「修身 斉家 治国 平天下」というように,自己のありようを考える際には,はるか上方の組織に至る帰属意識がないと単なる個人主義に陥るだろうに,と思っていた。

最近になって朝日・日教組社会党ラインの輝きが失われるにしたがって,個人の権利と公共の福祉のバランスは適正に向かっているように思う。

ただ,こういうバランスは,いったん動き出すと加速がついて反対側まで一気に行きがちだから,洞察力のある人が注意を怠らないことが肝心肝心。