医療行為のリスク
時間外に,緊急に手術が必要な患者が運ばれてくる。 その手術を普段から行っている医師は確保できたが,麻酔科の医師がすぐに確保できない。 これでは手術が開始できない。 もちろん,麻酔医は呼び出してしばらくすれば来るのだけれど,事態は一刻を争い,時間とともに危機が高まることが明白である*1。
この場合の対処方法は?
- 麻酔科医ではないが,その場にいてすぐに確保できる医師に麻酔を頼む
- もちろん全ての医師は麻酔のかけ方を学んでいるが,麻酔をかけるのはリスクが高く,慣れてない者が行うのは望ましくない
- すぐに施術にかかれるので,患者を助けられる可能性は飛躍的に高まる
- 失敗した場合,「慣れない者に麻酔をさせた」ことで非難される可能性がある
- 時間をとって麻酔科医を待つ
- 時間との勝負において,時間を無駄にするので失敗の危機が飛躍的に高まる
- 失敗した場合,不作為を咎められる可能性がある
いずれにしてもリスクをとらなければならない。 リスクを取るということは,その行為によって失敗の可能性が生じるということである。 ところが,現代の風潮では,失敗した場合に,医師の不手際が患者に責められ,賠償の矢面にたつことになる。 これを考えると,健全な医療行為が萎縮する可能性が極めて高くなる。 いまの事例では,失敗の際の賠償責任が少なそうだということで,2のほうが奨励されるらしい*2。
だいたい,医療行為なんてものは,所詮ミス多き人間のやることなのだから,患者側にもミスや失敗によるリスクを前提した心構えが必要なんじゃないだろうか。 患者側は,医者にかかるというのが,一種のリスク行為であることを理解すべきだろう。
- 医者にかかる:医療ミスのリスクが発生する。 治癒の可能性が飛躍的に高まるというハイリターン
- 医者にかからない:医療ミスのリスクは発生しないが悪化のリスクが発生する。 自分の自然治癒力に期待するというローリターン
このトレードオフを主体的に判断せずに,医療ミスのリスクだけヘッジしようという,考え方にムカつく。 いまの風潮では,あまりにも一方的すぎて医師が可哀想だし,患者側にしても,長期的には健全な医療行為を期待できなくなるというマイナスを背負う。
そこで,助かる方法があることと,助かることとの間には溝があって,病院というのは助かる可能性を提供してくれるところにすぎない,という考え方の患者を促成するためにも,ダイビングなどの危険を伴う娯楽同様,患者が医師を免責する「免責同意書」を書かないと,医師は医療行為を行わない,とするのはどうだろう。 その免責の上で,医師は自身の道徳と技量によって最善を尽くす,という関係の方がむしろ健全だと思うのだ。
http://umi.no-ip.com/simple/pd200310.html#2003-10-22
判断力は、自由主義の前提であるのだ
↑これね,これ。 でも「民衆(理解力が無いわけではなく自ら理解することを放棄してる人間)」はこれを理解できるのだろうか。