少子化

少子化が止まらない。

その理由として,まず経済が挙げられる。 たとえば,現在の社会ではゆとりのある生活をしたければ,夫婦共働きをする。 そうやって夫婦が共働きに出ると,どうしてもたくさんの子供の世話なんて見てる時間や体力などの余裕がなくなる。 それじゃあ,ってんで逆に共働きせずに子供を育てようとすると,今度は経済的にきつくなる。 で,3人以上の子供を産もうとする夫婦が少なくなる。

要はみんな小賢しくなっちゃって,お金がきつくなるから産まない,とかしんどくなるから産まない,といった意見を持ちがちになってるってことだ。 無理もないけど,欧米諸国に比べると,託児施設やベビーシッターの制度があんまり整っていないし,法制面でも育児する家庭に対する社会保障が今一できていないからね。

で,その少子化の問題は,単純に生産力の低下だけで片付けられない。

子供は,われわれの世代から構造的に抱え込み始めた新しい問題に直面することになる。 遊び事情の悪化である。 数の少ない子供を,より低リスクでかつできるだけリターンが高くなるように育てようとすると,世の親の多くは高等教育を施したくなり,結果として「塾通い」のオプションを捨てきれなくなる。 現在の子供たちが塾に通うことは,以前,つまりワタクシたちの子供時代よりもさらに恒常化してきている。 塾に行かなくてはならない現在の子供たちは,放課後などに大勢で野球やドッヂボール,バスケットボール,バレーボールなどの球技をする機会が非常に少ない。 さらに学校では,放課後の運動場の解放なんてとんでもない,という事勿れ主義姿勢が蔓延している。 怪我でもされては,子供に従来以上のコストをかけて育てている保護者に怒鳴り込まれかねないからだ。 その結果,驚くなかれ「野球のルールを知らない子供」が大量に発生している。

これを嘆かわしいととるかどうかは自由だが,問題はそれほどまでに遊び時間を削って塾などで勉強をしているにも関わらず,現在の子供の知的能力が,これまでに比べて向上を見せるどころが,かえって悪くなっているという点にある。 これはいったいどうしたことだろうか?

次世代を担う子供たちが遊び方も碌に知らない,勉強も特にできるわけではない,個性の時代といいながら,自己主張はファッションだけ,自分の意見なんて迎合迎合〜,なんてのを見るにつけこれからの日本に疑問符がポワ〜ンと浮かび上がってしまうのである。 いったい子供たちは感性をどうやって育てるのだろう。

ホントに豊かな少年時代ってなんだろ,と考えてしまう。